#4.
目次 1. 行動経済学とは 1. 2つの思考モード 2. プロスペクト理論 3. ナッジ 2. リウマチ診療と行動経済学 1. 診断に関する事例 2. 医師・患者関係の事例
#5.
1.行動経済学とは
#6.
リウマチ診療におけるShared Decision Making Overarching principles (A) The treatment of rheumatoid arthritis must be based on a shared decision between patient and rheumatologist. 関節リウマチの治療は、患者とリウマチ医との共同意思決定に基づいて行われ なければならない。 —Smolen JS, et al. Treating rheumatoid arthritis to target: recommendations of an international task force. Ann Rheum Dis. 2010;69:631–7.
#7.
Shared decision makingにおけるThree-talk model ① Team talk 選択肢を伝え、患者をサポート し、ゴールを確認する ③ Decision talk 患者・家族の意向を理解し、 方針を決定する ② Option talk リスクと利益の情報を伝え、選 択肢を比較検討する Elwyn G, et al. BMJ. 2017;359:j4891.
#8.
実際には、医療者と患者・家族との間で完全な情報の共有は困難 医師と患者・家族で意見がすれ違うことも、稀ではない
#9.
古典的な経済学の前提 「人間は合理的・論理的に判断・選択する」 しかし、実際には人間はいつも合理的・論理的に意思決定するわ けではない(特に、不確実性の高い状況下においては) 現実世界において、人間はどのように意思決定するのかを追求し た学問 ⇨行動経済学
#10.
1-1.2つの思考モード ダニエル・カーネマン (著)「ファスト&スロー あなたの意思はどのように決まるか?」早川書房、2014年
#11.
2つの思考モード システム1 直感的思考。速い思考。思い込みやバイアスの影響を受けやすい。 システム2 分析的思考。遅い思考。情報を集めて論理的に考える。疲れやす く時間もかかる。
#12.
システム1(直感的思考)の例 1+1=? 「どら◯もん」 ◯に入る文字は?
#13.
システム2(分析的思考)の例 178×643=? 4文字目に「れ」が出てくる言葉は?
#14.
システム1(直感的思考)ではバイアス(判断の歪み)が生じや すい • 代表性ヒューリスティック ステレオタイプとの類似性で判断すること(確率を無視) 例)若年女性の発熱をみてSLEを想起する ヒューリスティック=近道思考 • 利用可能性ヒューリスティック 利用可能な限られた情報で判断すること 例)昨日の講演会で絶賛されていた薬を処方する • アンカリング 先に得た情報に判断が引っ張られること 例)紹介状に「RA疑い」と書いてあるのでRAだと決めつける
#15.
1-2.プロスペクト理論 「心理学研究の洞察を経済学、とくに 不確実性下の人間の判断と意思決定に 統合した功績」 https://www.nobelprize.org/prizes/economic-sciences/2002/summary/
#16.
質問1 あなたなら、どちらを選びますか? A) 無条件で50万円が手に入る B) コインを投げ、表が出たら100万円が手に入るが、裏が出た ら何も手に入らない
#17.
質問2 あなたは100万円の借金を抱えています。どちらを選びますか? A) 無条件で借金が50万円減額される B) コインを投げ、表が出たら支払いが全額免除されるが、裏が 出たら借金の総額は変わらない
#18.
質問1 あなたなら、どちらを選びますか? こちらを選ぶ人が多い A) 無条件で50万円が手に入る B) コインを投げ、表が出たら100万円が手に入るが、裏が出た ら何も手に入らない • 期待値はどちらも50万円の得 プロスペクト理論 • Aは確実な50万円を得する「価値」 「利得局面」では • Bは不確実な50万円を得する「価値」 「リスク回避的」になる
#19.
質問2 あなたは100万円の借金を抱えています。どちらを選びますか? A) 無条件で借金が50万円に減額される B) コインを投げ、表が出たら支払いが全額免除されるが、裏が 出たら借金の総額は変わらない こちらを選ぶ人が多い • 期待値はどちらも50万円の損 プロスペクト理論 • Aは確実な50万円を損する「価値」 「損失局面」では • Bは不確実な50万円を損する「価値」 「リスク愛好的」になる
#20.
プロスペクト理論のポイント ①感応度逓減性 価値 「価値の大きさは金額に比例しない」 同じ1万円でも… • 0円→1万円の価値(嬉しさ) • 100万円→101万円の価値(嬉しさ) 額面通りの価値 実際に感じる価値 金額が大きくなると嬉しさの増加が鈍くなる 金額
#21.
プロスペクト理論のポイント ②損失回避 価値 「同じ金額を得る喜びよりも 同じ金額を失う悲しみの方が大きい」 あなたは次の賭けに乗りますか? • コインで表が出たら12万円をもらえるが、 裏が出たら10万円支払う 同じ金額でも損した悲しさの方を強く感じる ⇨損失を回避したくなる 金額
#22.
先ほどの質問をプロスペクト理論で考えてみる 価値 –100万円 –50万円 50万円 100万円 金額
#23.
質問1 利得局面 価値 こちらの方が魅力的 A) 確実な50万円の価値 B) 不確実な50万円の価値 50万円 100万円 金額
#24.
質問2 損失局面 価値 –100万円 –50万円 金額 こちらの方が魅力的 B) 不確実な–50万円の価値 A) 確実な–50万円の価値
#25.
1-3.ナッジ 「行動経済学への貢献」 https://www.nobelprize.org/prizes/economic-sciences/2017/summary/
#26.
ナッジ • 英語の”nudge” = 肘でそっとつつく • 人の選択の自由を残したまま、より望ましい選択や行動を後押しすること
#27.
質問1 あなたなら、どちらを選びますか? A) 無条件で50万円が手に入る B) コインを投げ、表が出たら100万円が手に入るが、裏が出た ら何も手に入らない このような質問の仕方だと、Aの選択肢が選ばれやすいが、 ナッジを意識して質問の仕方を変えてみる
#28.
こんな風に質問を変えたらどうだろうか? 最大100万円が手に入るチャンス!! あなたはどちらを選びますか? 100万円コース コインを投げて、表が出たら100万円が手に入る! 50万円コース 50万円が手に入る フレーミング効果 参照点の移動 得られる最大利得に目を向けさせる 基準が50万円→100万円に移動
#29.
さらに手を加えて… 最大100万円が手に入るチャンス!! あなたはどちらを選びますか? 100万円コース(10人限定) 残り2人! コインを投げて、表が出たら100万円が手に入る! 50万円コース 50万円が手に入る デフォルト 希少性 初めから選んでおいて無意識に促す 希少なものは価値がある、出遅れたくない
#30.
2.リウマチ診療と行動経済学
#31.
2-1.診断に関する事例 症例は83歳女性。RAに対してMTX 8 mg/週で加療され、疾患活動性は比較 的安定していた。 3日前からの右膝関節の疼痛と腫脹を訴え、予約外受診した。右膝関節には 腫脹、熱感、圧痛を認めた。 その日はGW前の外来日で、外来は大変混雑していた。担当医はRAの再燃 と考え、ひとまずPSL 10mg/日を処方した。
#32.
2-1.診断に関する事例 しかし、その後も右膝の症状は改善せず、1週間後には新たに両肩関節の疼 痛と腫脹が出現した。 右膝関節穿刺を施行したところ、関節液は混濁しており、細胞数増多を認 めた。関節液培養および血液培養から黄色ブドウ球菌が検出され、化膿性 関節炎・菌血症と診断した。
#33.
なぜRA再燃と考えてしまったのか? 1. システム1による直感的思考 混雑、時間制約、疲労といった要素があり、認知負荷が軽いシステム1による 直感的思考で判断した 2. アンカリング 既存のRAという診断に引っ張られた 3. 利用可能性ヒューリスティック RA患者は日常的に関節痛や関節腫脹を訴えるため、すぐに思い浮かぶRAの関 節炎と判断してしまった 4. 代表性ヒューリスティック RA患者+関節炎→RA再燃を想起した
#34.
解決策① システム2を働かせる • RA再燃だと早合点(早期閉鎖)する前に、一度立ち止まって、「RA再燃 以外に見逃すと危ないものはないか?」と考える • システム2で関節炎を冷静に分析し、急性単関節炎だと判断できれば、お のずと化膿性関節炎の可能性に気づくことができる • とはいえ、忙しい外来中に常にシステム2で思考するのは、疲れるし、時 間がかかるので、現実的ではない • Red flagを意識して、ここぞというタイミングでシステム2を起動できる ようになるのが重要
#35.
解決策② 専門知識から導かれる直感的判断 RA診療に熟練した医師であれば、 • RA患者で急性単関節炎に? • 熱感をもつほど片膝が腫れる? • 高齢でMTX内服中? といった要素に違和感を感じて、化膿性関節炎を自然に想起可能(かもしれな い) 専門家の優れた直感=スペシャルなシステム1
#36.
スペシャルなシステム1の言語化=クリニカル・パール Patients with acute inflammatory monoarticular arthritis need a joint aspiration to rule out septic arthritis and crystalline arthropathy. 急性単関節炎では化膿性関節炎と結晶性関節炎を除外するために関節穿刺が必要 である。 Red, hot joint is not typical of inflammatory arthritis in RA... even in established disease, demands aspiration. 関節の発赤や熱感はRAの関節炎として典型的ではない。既知のRAであっても、関 節穿刺が必要である。 — Top 100+ Rheumatology Secrets | West SG, et al. Rheumatology secrets. 4th ed: Elsevier; 2020.
#37.
システム1による判断の誤りを防ぐために • 人間は平時ではシステム1が働いており、常にバイアスに影響 されやすい事を知っておく • 初学者は、Red flagを学んでおくことで、適切なタイミングで システム2を起動できるようになる • さらに、クリニカル・パールを学ぶことでスペシャルなシステ ム1に近づくことができる
#38.
2-2.医師患者関係の事例 症例は46歳女性。2か月前から手首や手指の関節痛とこわばりを自覚し、近 医を受診したところ、症状緩和目的のためPSL10mg/日が処方された。血液 検査でRF陽性・抗CCP抗体陽性となったため、当院に紹介となった。 当院受診時、関節痛はほぼ軽快していたが、関節腫脹は残存していた。関 節エコーでも手関節やMCP関節にドプラ陽性の関節滑膜炎残存を認めた。 左手関節 右3 MCP
#39.
担当医はMTXを用いた標準的な治療を開始すべきと考え、次のように説明 した。 症状は良くなっているとのことですが、関節の炎 症は続いています。 メトトレキサートという抗リウマチ薬を始めて、 ステロイドを減量していきましょう。 メトトレキサートですか? 近所の方がメトトレキサートで敗血症になったと 聞いたので、そんな怖い薬は飲みたくありません。 それに、ステロイドでせっかく痛みが良くなった のに、ステロイドを減らすのは嫌です
#40.
患者の意思決定に関与したバイアス 1. 利用可能性ヒューリスティック 「近所の方がMTXで敗血症になった」という印象的な出来事を過大評価 し、MTX=危険な薬と考えている 2. 損失回避 「ステロイドで改善した現在の状態」を参照点としているため、ステロ イドを減らして痛みが再燃するかもしれない、という損失を強く感じて いる 3. 現在バイアス(将来よりも目先のことを重視する) 将来の関節破壊やステロイド副作用のリスクよりも、今の痛みが最も大 きな問題と感じ、優先する
#41.
バイアスにどう対処するか? 1.利用可能性ヒューリスティックに対して • 感染リスクをMTX有無で比較するのではなく、MTX vs ステロイドで比較 する(フレーミング効果) • 安全に配慮しながらMTXを正しく使うことで、多くの方はMTXで寛解を 達成してステロイドを減量できていることを伝える(利用可能な別の事例 を提供する) • 有効性と安全性の観点から、ガイドラインでもMTXを第一選択薬として推 奨していることを説明する(デフォルト)
#42.
バイアスにどう対処するか? 2・3.損失回避・現在バイアスに対して • RA治療の目標が「寛解維持」であることを説明する (未来への参照点移動:「現在の痛くない状態」→「痛みがなく変形も生じない 良い状態を維持すること」への移動) • 痛みがなくても関節の変形が進行するリスクが高いこと、ステロイド長期使用の リスクを説明する(真の損失を可視化) • 痛みをとるという最初のステップは達成できているので、次は「抗リウマチ薬で 寛解を維持する」というステップに進みましょう、と説明する (Endowed progress effect、スタンプカードに最初からスタンプが押してあ る)
#43.
まとめ 1. 行動経済学の重要な基礎理論として、2つの思考モード、プロスペクト 理論、ナッジがある 2. これらの理論を意識し、活用することで、リウマチ診療の質の向上が期 待できる
#44.
参考書籍 • 大竹 文雄 (著), 平井 啓 (著)「医療現場の行動経済学: すれ違う医者と患者」東洋経済新報 社、2018年 • 大竹 文雄 (著, 編集), 平井 啓 (著, 編集)「実践 医療現場の行動経済学: すれ違いの解消 法」東洋経済新報社、2022年 • ダニエル・カーネマン (著)「ファスト&スロー あなたの意思はどのように決まるか?」早 川書房、2014年 • 志水 太郎「診断戦略: 診断力向上のためのアートとサイエンス」医学書院、2014年 • 志水 太郎、獨協医科大学総合診療科「毎回5分 はじめての診断戦略」日経BP、2025年 • 中島 亮太郎 (著)「ビジネスデザインのための行動経済学ノート バイアスとナッジでユー ザーの心理と行動をデザインする」翔泳社、2021年