#4.
問題意識:なぜ虐待は繰り返されるのか 虐待件数は増え続けている • 高齢者:養介護施設従事者等による虐待判断 1,220件(+8.6%、4年連続最多)、養護者 による判断 17,133件(令和6年度) • 障害者:福祉施設従事者等による虐待判断 1,194件、被虐待者 2,356人(令和5年度、前 年度比+74.3%) にもかかわらず、議論は「誰が悪いか」で止まる • 加害者個人への非難・処罰で完結し、再発防止につながらない • 本発表の問い:「個人の悪意」では説明できない現象として虐待を捉え直せないか
#5.
養介護施設従事者等による高齢者虐待 判断件数の推移 1123 1200 1000 856 739 800 621 600 400 221 200 54 0 H18 H25 H30 R3 出典:厚生労働省「令和6年度 高齢者虐待防止法に基づく対応状況等に関する調査結果」(2025.12.25公表) R4 R5
#6.
理論的枠組み①:因果推論の限界 「Aが原因 → Bという虐待が起きた」という直線的因果 • 「介護ストレスが虐待を引き起こした」「職員の倫理観の欠如が原因」 • 単一の原因変数に虐待という結果を帰属させる発想 Popper(1959):反証可能性の問題 • ストレスがあっても虐待しない介護者は多数存在する → 「ストレス→虐待」は十分条 件でも必要条件でもない • 事後に「原因」を同定する説明は、反証不能なトートロジーに陥りやすい → 虐待は多数の要因が相互に作用する「場」で生じる
#7.
直線的因果律:A→B 介護ストレス 虐待 反証不能:ストレスを抱えても虐待しない人が大多数。『原因』 を事後に名付けるだけ 円環的因果律 個人 関係 組織 制度 虐待 社会規範 複数要因が相互作用。どこを動かしてもネットワーク全体が変 わる → 虐待は『特定の原因→結果』ではなく、多層ネットワークに埋め込まれた現象 Bateson 1972 / Watzlawick 1967 / Popper 1959
#8.
理論的枠組み②:システム論という見方 システム=相互作用する要素の集合(Bertalanffy 1968) • 全体は部分の総和以上のもの(non-summativity) • 部分を取り出して分析しても、システム全体の挙動は見えない Bronfenbrenner(1979)の生態学的システム論 • マイクロ(家族・施設)⇄ メゾ(地域・職場)⇄ エクソ(制度)⇄ マクロ(文化・社 会規範) • 各層が双方向的に影響し合い、虐待という「出力」を生む → 虐待は「個人」ではなく「関係と場」の問題として立ち上がる
#9.
ミクロ-メゾ-マクロな視点 制度 組織 制度レベル 関係 各層が虐待リスクを規定する ◆ 個人:認知機能・要介護度・加害者の脆弱性 組織レベル ◆ 関係:長期介護・孤立・家族関係のゆがみ 個人 ◆ 組織:人員配置・研修・ガバナンス ◆ 制度:介護報酬・労働政策・社会規範 → 一層だけ動かしても虐待は止まらない Bronfenbrenner 1979 / Bertalanffy 1968
#10.
理論的枠組み③:パンクチュエーション Watzlawick et al.(1967)/Bateson(1972)の概念 • 循環的な相互作用を、観察者がどこで「区切るか」で因果の向きが変わる • 「加害者が怒るから被害者が萎縮する」vs「被害者が萎縮するから加害者が苛立つ」 虐待事例への含意 • 「暴言を吐いた瞬間」を起点にすれば職員個人の加害事例、「人員不足で夜勤一人体制 が常態化した時点」を起点にすれば組織の構造問題 • どこで区切るかは観察者の選択であり、客観的に決まるものではない → 「加害者個人の瞬間」で区切る習慣そのものを問う必要がある
#11.
加害者:強いケア 被害者:抵抗・拒否 加害者視点:「抵抗されたから強く出た」 ...どこまで遡る? 被害者視点:「乱暴にされたから抵抗」 → 同じ循環を『どこで区切るか』で因果が逆転する → 『誰が原因か』という問いは、区切り方を選ぶ政治的行為である Watzlawick, Beavin, Jackson 1967
#12.
演繹的アプローチ と 帰納的アプローチ 演繹:仮説検証型 帰納:事例積み上げ型 • 出発点:既存理論・リスク因子 • 出発点:個別事例・ナラティブ • 手続き:仮説を立て事例で検証 • 手続き:事例から共通パターン・概念を抽出 • 強み:反証可能性(Popper 1959) • • 弱み:既存枠組みの外にある現象は見えにく い 強み:予期せぬ要因・構造的背景を発見 (Glaser & Strauss 1967) • 弱み:一般化に慎重さを要する • 例:「人員配置基準違反のある施設は虐待率 が高い」を統計で検証 • 例:個別ケースから「孤立した介護関係」と いう共通構造を抽出
#13.
演繹:理論 → 事例 帰納:事例 → 理論 大前提:システム論 個別事例の観察 小前提:介護ストレス普遍 パターン抽出 結論:虐待は組織要因あり 結論:類型化・仮説 → 臨床では両輪。理論で枠を作り、事例でそれを修正し続ける Popper 1959 / Glaser & Strauss 1967
#14.
理論的枠組みの統合:本発表の立場 4つの補助線を組み合わせる • 因果推論の限界:単線的「原因→虐待」には飛躍がある • システム論:マイクロ〜マクロの多層が絡む「場」の現象 • パンクチュエーション:区切り方に観察者の責任がある • 演繹×帰納:統計的傾向と事例構造を往復する → 以降、この視座で国内統計と事例を読み直す
#15.
日本の高齢者虐待:最新データ 養介護施設従事者等による虐待(令和5年度) • 虐待判断件数 1,123件(前年度比+31.2%、3年連続で過去最多を更新) • 相談・通報件数 3,441件(同+23.1%、過去最多) • 種別:身体的51.3% / 心理的24.3% / 介護等放棄22.3% / 経済的18.2% 養護者(家族等)による虐待(令和5年度) • 虐待判断件数 17,100件 / 相談・通報 40,386件(11年連続増加) → 増加傾向は「悪い職員・家族が増えた」で説明できるか? 出典:厚生労働省「令和5年度高齢者虐待防止法に基づく対応状況等に関する調査結果」
#16.
高齢者虐待 判断件数の推移(2経路) 養介護施設従事者等 養護者(家庭) 20000 17249 18000 15731 16000 14000 16426 16669 17100 17133 12569 12000 10000 8000 6000 4000 2000 54 221 621 739 856 1123 1220 0 H18 H25 H30 R3 R4 出典:厚生労働省「令和6年度 高齢者虐待防止法に基づく対応状況等に関する調査結果」(2025.12.25公表) R5 R6
#17.
日本の障害者虐待:最新データ 障害者福祉施設従事者等による虐待(令和5年度) • 虐待判断件数 1,194件(前年度比+24.9%)、被虐待者 2,356人(+74.3%) • 施設種別:共同生活援助・施設入所支援・生活介護の順に多い 使用者(職場)による虐待(令和6年度) • 虐待認定 652人(前年度761人から減)、経済的虐待が 85.0% を占める 国際的知見 • Hughes ら 2012(Lancet):障害者全体の暴力被害 OR=1.50、精神疾患で OR=3.86 → 経済的虐待の突出は「個人の倫理」ではなく「構造」の問題を示唆する 出典:厚労省令和5年度・令和6年度障害者虐待対応状況調査/Hughes et al., Lancet 2012;379:1621-9
#18.
障害者虐待 判断件数(3経路、R5) 使用者(職場) 447 障害福祉施設従事者等 1194 養護者(家庭) 2385 0 500 1000 1500 出典:厚生労働省 令和5年度 障害者虐待対応状況調査結果 / 令和5年度 使用者による障害者虐待の状況等 2000 2500 3000
#19.
直線的因果律 vs 円環的因果律 直線的因果律 円環的因果律 • 問い:「誰が悪いのか」 • 問い:「どんな場が虐待を生むか」 • 単線的な因果(ストレス → 虐待) • 個人・関係・組織・制度の循環的相互作用 • 介入:加害者の処分・研修 • 介入:人員配置・監査・報酬構造の再設計 • 責任:個人に帰属 • 責任:個人+組織+制度の多層 • 問題:再発を防げない/被害者を黙らせがち • 難点:責任の所在が曖昧になる危険
#20.
直線的因果律:原因 → 結果 円環的因果律:多層の相互作用 個人 要因A 要因B 虐待 制度 ・介入点は1つ ・A,Bを除けば解決するはず ・しかし現実はそう動かない 循環 組織 ・介入点は複数 ・一点除去では全体は変わらない ・場の再編成が必要 → 介入設計は『場の再編成』へ。研修だけでは動かない理由もここにある Bertalanffy 1968 / Bronfenbrenner 1979 関係
#21.
高齢者虐待の多層要因 個人レベル • 要介護3以上69.7%・認知症自立度Ⅱ以上73.0%(R5施設従事者 虐待) • 養護者虐待の発生要因(R6):認知症症状58.1% / 介護疲れ・スト レス57.2% 関係レベル • • ◆ 個人:要介護3以上 69.7% / 認知症自立度Ⅱ以上 73% ◆ 関係:長期介護のゆがみ / 孤立 / 経済依存 続柄(R6):息子38.9% / 夫23.0% / 娘19.3%――長期介護関係 のゆがみ・孤立 組織・制度レベル • 各層の具体的要因 施設発生要因(R6):知識・意識不足75.9% / 倫理観欠如64.3% / ストレス62.5% ◆ 組織:人員配置基準 / 業務負担 / 防止体制 ◆ 制度:介護報酬 / 研修要件 / 身体拘束規制 社会:エイジズム、高齢者の経済的脆弱性 → 各層は独立ではなく、互いを制約し合う(Bronfenbrenner 1979) 出典:WHO 2024 fact sheet; 厚労省R6高齢者虐待調査; Bronfenbrenner, The Ecology of Human Development, 1979 → 各層は独立ではなく相互に制約。 一層だけの介入では不十分
#22.
障害者虐待の多層要因 個人レベル:脆弱性と依存 • • 知的障害45%・精神障害43%(意思表明・抵抗の困 難) Hughes2012:精神疾患OR3.86,障害者全体OR1.50 組織レベル:閉鎖性と権力勾配 • 共同生活援助・入所支援・生活介護に集中 • 発生要因:教育・知識・介護技術の不足,倫理観の欠 如,職員のストレス 制度レベル:経済的従属 • 障害者虐待のリスクを規定する4層 ◆ 個人:知的45% / 精神43% / 身体19% 意思表示困難 ◆ 関係:家庭での閉鎖 42% / 虐待者無自覚 41% ◆ 組織:共同生活援助・入所に集中 / 教育・倫理欠如 ◆ 制度:使用者虐待 経済85% / 通報窓口 / 報酬減算 使用者虐待R6:経済的虐待85.0%――最低賃金除 外・成年後見の構造 → 個人の「悪意」より,制度が生む依存関係が虐待を構造化する 厚労省令和6年度障害者虐待対応状況;Hughes et al. Lancet 2012 → 意思表示が困難な人ほど多層すべてで保護が弱い
#23.
事例1:家庭内高齢者虐待 事例の骨格(典型例) • 85歳女性,要介護4・認知症Ⅲ。息子(50代,独身・失職中)と二人暮らし • ケアマネ通報で発覚:身体的虐待と年金の流用(経済的虐待) 多層の見方 • 個人:息子の経済的・精神的脆弱性,母への依存 • 関係:20年来の母子依存,社会的孤立 • 制度:就労支援・8050問題への包括的対応の不在 → 「虐待する息子」を責めるだけでは,同じ構造が次の家庭でも繰り返される
#24.
要介護4・認知症 年金依存の構造 息子 うつ・失職 虐待 家族信仰"家で見る" 相談窓口の不在 独居介護5年 親子の経済依存 ケアマネ訪問 月1 個人 関係 組織 制度 薄い破線:要因同士の絡み合い(相互作用) 8要因が同時に重なる状況で 息子個人を「加害者」と呼ぶだけでは再発を防げない
#25.
事例2:施設内障害者虐待 事例の骨格(典型例) • 知的障害入所施設(共同生活援助),利用者複数名への身体的・心理的虐待 • 加害者は特定の生活支援員1名ではなく,夜勤帯の複数職員が関与 多層の見方 • 個人:利用者の意思表明困難,職員の教育・知識不足 • 組織:夜勤体制の手薄さ,管理者不在,通報を抑える「身内意識」 • 制度:人員配置基準の余裕のなさ,虐待防止委員会の形骸化 → 「職員の資質」ではなく,組織文化と制度設計が虐待を許容していた
#26.
制度:報酬改定・人員配置基準 → 虐待防止研修を形骸化 法人:収益重視・稼働率目標 → 報告・相談経路の断絶 管理者:シフト埋め最優先 職員個人の倫理観研修だけでは 上流圧力は変わらない 介入ポイント:報酬体系/配置基 準/内部通報/身体拘束3要件の 実効化 → 被拘束25.6% 深刻度『中』 59.7% 現場職員:夜勤1人40名介護職82.8% → 「閉じた現場で悪い職員が起こす」のではなく、構造が作り出す 厚生労働省 令和6年度 高齢者虐待 / 令和5年度 障害者虐待
#27.
「個人の悪意」では説明できない 個人悪説の反証 • WHO:施設職員の2/3が過去1年に虐待加害を自己報告 • → 「加害者=逸脱した少数」では2/3という頻度は説明できない • 日本でも判断件数は連続増加,虐待は「特別な事件」ではなく日常の分布 基本的帰属の誤り • 他者の行動=人格,自分の行動=状況,と帰属しがち • 虐待者を「異常な個人」と位置づけることは,同じ状況の自分を不可視化する → 問うべきは「誰が悪いか」ではなく「どんな状況が虐待を生むか」 WHO Abuse of older people fact sheet 2024
#28.
施設加害職員の年齢分布(R5):全世代に分散 30歳未満 60歳以上 10.1%: 15.2%: 15.2 10.1 特定世代に 偏っていない 30-39歳 50-59歳 13.6%: 13.6 15.1%: 15.1 40-49歳 15.2%: 15.2 出典:厚生労働省「令和6年度 高齢者虐待防止法に基づく対応状況等に関する調査結果」(2025.12.25公表) どの職員にも起こりうる= 個人属性では予 測不能 職種:介護職82.8% 看護職5.6% 施設長 3.4%
#29.
責任帰属の再配置:個人・組織・制度 個人レベルの責任 • 加害行為そのものへの法的・倫理的責任は免責されない • ただし「個人の資質」に還元すると再発防止に繋がらない 組織レベルの責任 • 人員配置・教育体制・虐待防止委員会の実効性 • 職員が声を上げられる職場文化・相談経路の整備 制度レベルの責任 • 介護報酬・障害福祉報酬が定める労働条件の構造 • 養護者支援・レスパイトの制度的厚みの不足 → 三層の責任を同時に語ることで初めて予防が設計できる
#30.
従来の責任モデル システム的責任モデル 個人:加害行為の違法性 組織(施設・法人): 防止体制・教育・労務 管理 個人(加害者個人) 『個人を罰する』だけでは 同じ構 造から また別の加害者が 生まれ 続ける 制度(国・自治体): 配置基準・報酬・支援 資源 → 責任は個人を免罪するためではなく、介入点を増やすために分散させる Bronfenbrenner 1979 / WHO 2022 Tackling abuse of older people
#31.
予防介入:WHO五つの優先課題とシステム的介入 WHO五つの優先課題(2022) • エイジズムと闘う/データ収集/費用対効果介入の開発・拡大/投資の正当化/資金調達 日本の制度的取り組み • 虐待防止委員会・身体拘束適正化委員会の設置義務 • 未実施減算・報酬改定による経済的インセンティブ • 市町村体制整備と取り組み項目数の相関(相談・判断件数↑) システム的介入の要点 • 研修だけでなく職場環境・報酬体系・通報経路を同時に変える • 養護者には「加害者」ではなく「支援対象」の視点を併置 → 単一レベルの介入は効果限定的。多層同時介入が鍵 WHO (2022) Tackling abuse of older people; 厚労省 令和6年度調査
#32.
まとめ:虐待を「場」として見直す 本発表の中核命題 • 高齢者虐待・障害者虐待は「個人の悪」では説明できない • 加害者・被害者・関係性・組織・制度の多層的「場」で生起する • 単線的因果帰属は予防を狭め、責任を個人に押し付ける 理論的貢献 • 因果推論の限界を自覚し、システム論で補完する • パンクチュエーションの選択を自覚的に行う • 演繹(理論)と帰納(統計・事例)の往復を制度化する 実践への含意 • 個人責任は維持しつつ、組織・制度への責任分配を明示する • 予防介入は多層同時でしか効かない → 「誰が悪いか」から「何がこの場を虐待に導くか」へ
#33.
参考文献 【日 本の虐 待統計 】 • 厚生労働省 (2025) 令和6年度「高齢者虐待の防止、高齢者の養護者に対する支援等に関する法律」に基づく対応状況等に関する調査結果 • 厚生労働省 (2024) 令和5年度「高齢者虐待の防止~」に基づく対応状況等に関する調査結果 • 厚生労働省 (2025) 令和6年度都道府県・市区町村における障害者虐待事例への対応状況等 • 厚生労働省 (2024) 令和5年度都道府県・市区町村における障害者虐待事例への対応状況等 • 厚生労働省 (2025) 令和6年度使用者による障害者虐待の状況等 • 厚生労働省 (2024) 令和5年度使用者による障害者虐待の状況等 【国 際エビ デンス 】 • WHO (2024) Abuse of older peo ple – Fact sheet • WHO (2022) Tackling abuse of older people: five prio rities for the UN D ecade of H ealthy Ag eing 2021 –2030 • Yo n Y, Mikto n CR, Gasso umis ZD, Wilber KH (2017) Elder abuse prevalence in community settings: a systematic review and meta -analysis. Lancet Glob Health 5(2): e147–e156 • Yo n Y, Ramiro-Gonzalez M, Mikton CR, Huber M, Sethi D (2019) The prevalence of elder abuse in institutio nal settings: a systemat ic review and meta-analysis. Eur J Public Health 29(1): 58–67 • Hughes K, Bellis MA, J ones L, et al. (2012) Prevalence and risk of violence against adults with disabilities: a systematic re vi