テキスト全文
ドクターヘリによる迅速な医療介入の概要
#1. ドクターヘリによる迅速な医療介⼊により 救命し得た 硫化⽔素中毒の1例
#2. 本スライド対象者 ・ドクターヘリで病院前診療を⾏う ・中毒ガス暴露症例に遭遇しうる 救急科医 ・救急外来なら何でも診ます!の 初期研修医 ・全国各地の温泉地で働く 医療関係者の皆様
日本の温泉地と硫黄泉の特徴
#3. 世界からみた⽇本の温泉 ⽇本には 約3102か所の宿泊施設を有する温泉地があり 温泉地数は「世界No.1」である︕ (2位︓中国 約3000か所、3位︓トルコ 約500か所) ⼭村順次. 世界の温泉地: 発達と現状. ⽇本温泉協会, 2004.5. そして、⽇本の温泉の種類(泉質)は 約10種類(単純温泉、塩化物泉、炭酸⽔素塩泉など)と豊富
#4. 全国各地の硫⻩泉 全国 約3102か所の温泉地のうち 硫黄泉は約500か所(16%)を占める 腐った卵のような匂い(腐卵臭)と 湯の花による白濁したお湯が特徴 硫黄泉はさらに2種類に分けられる ① 硫化水素が含まれる:硫化水素型 ② 硫化水素が含まれない:硫黄型 酸性度の高い硫黄泉は「硫化水素型」である
硫化水素の特性と中毒症状
#5. 硫化⽔素の特徴 無⾊透明で腐卵臭がする 構造式︓H2S 分⼦量︓34.08 g/mol(空気より重い) 低濃度でも嗅覚で感じることができる むしろ、⾼濃度になると嗅覚が鈍り匂いが分からなくなる︕ 硫化⽔素の危険性 硫化⽔素は⾮常に有毒な気体である 低濃度の硫化⽔素で⽬や⿐の痛み、嘔吐、頭痛が出現 ⾼濃度の硫化⽔素は致死的 (次ページ参照👉) 硫化⽔素の防護⽅法 匂いを感じたら、速やかに安全な場所へ移動し換気を⾏う 温泉地全体に匂いが漂っている場合は分かりづらいです(笑)
#6. 硫化⽔素中毒の臨床症状 H2S濃度 臨床症状 0.025〜 100 100〜150 「腐った卵」の匂い 50〜200 ⾓結膜炎、⿐炎、咽頭炎、気管⽀炎 200< 頭痛、悪⼼嘔吐、錯乱、健忘、傾眠 300〜500 ARDS(急性呼吸窮迫症候群) 500< 痙攣発作、呼吸停⽌、循環不全、死亡 嗅覚神経⿇痺 750〜1000 ノックダウン現象:数回の呼吸で昏睡 相⾺⼀亥. 臨床中毒学 第1版第4刷. 医学書院, 2016.
高濃度硫化水素暴露の予後と症例の紹介
#7. ⾼濃度硫化⽔素暴露の予後 ⾼濃度硫化⽔素に暴露したラットは 75%が死亡 25%が⽣存 ⇨ その25%に神経学的後遺症 Philippe H, Ann N Y Acad Sci. 2016 June ; 1374(1): 29–40. ⾼濃度硫化⽔素に暴露したヒトは 6名中5名が神経学的後遺症が残存した Tvedt B, Am J Ind Med, 20: 91-101, 1991. ⾼濃度硫化⽔素暴露症例の神経予後は⾮常に悪い
#8. 症例の緒⾔ ドクターヘリシステムによる 迅速な治療介⼊ 特異的治療 により (亜硝酸ナトリウム持続投与) 神経学的後遺症なく、救命した1例を報告
患者の現病歴と救急隊の動き
#9. 症例 患者︓ 30代⼥性 既往歴・内服歴︓ 特記事項なし 現病歴︓ 温泉地(硫⻩泉)の峠をサイクリング中 1m下の窪地にぬいぐるみが落下 ぬいぐるみを回収するため窪地へ下りた直後に卒倒
#10. 救急隊とドクターヘリの動き 12:04 ⼊電︓友⼈が⽬の前で倒れた︕ 12:07 救急隊出動 12:21 現場到着 12:25 患者を⾞内収容 12:26 現場出発 ⼭道を下り RPを⽬指す 12:37 道の途中で合流 緊急性が⾼い通報の時は ドクターヘリにもすぐ連絡が届く 12:08 ヘリ要請 12:13 ヘリ離陸 12:32 RP着陸 RPの救急⾞に乗って現場へ 12:37 道の途中で合流 ※RP = ランデブーポイント︓ドクターヘリが着陸できる場所 現場に最も近い場所が選ばれるが、⼭奥では離れた場所になる
ヘリドクターの診察と治療方針
#11. ヘリドクター診察時の⾝体所⾒ 強い腐卵臭あり 呼吸数 36回/分 SpO2 100%(BVM 10L/min) ⾎圧 130/68 mmHg, ⼼拍数 100回/分 GCS E1V2M4, 瞳孔不同なし, 四肢⿇痺なし 簡易乳酸値測定︓12.5 mmol/L
#12. ヘリドクターの⽅針 腐卵臭があるため硫化⽔素中毒を疑った 現場からの情報で濃度800ppmと判明︕ 『除染』⽬的に全⾝脱⾐ 経⼝気管挿管し100%酸素投与を開始 基地病院に情報提供し 特異的治療の準備を要請した
病院到着時の身体所見と血液ガス分析
#13. 当院搬送までのヘリドクターの動き 12:37 ⼭道の途中で患者のいる救急⾞に乗⾞ ⼭道を下りながら、その場で出来る診療を実⾏ RPに到着し、ドクターヘリに患者を収容 13:03 ヘリ現場離陸 13:19 基地病院着陸
#14. 病院到着時の⾝体所⾒ SpO2 100%(吹き流し10L/min) 呼吸数 20回/分 ⾎圧 98/64 mmHg, ⼼拍数 89回/分 GCS E2VTM5, 瞳孔不同なし, 四肢⿇痺なし 髪が濡れ硫⻩臭著明, 左前額部に⽪下出⾎斑あり 左⾜関節内側から⾜底に⽪下出⾎斑あり 左⾜背に⽪下剥離あり
血液検査と画像所見の評価
#15. ⾎液ガス分析 pH pCO2 7.37 30.4 mmHg Anion Gap 14.6 mmol/L Lac 5.26 mmol/L pO2 440 CO-Hb 0.4 % HCO3 17.2 mmol/L Met-Hb 0.3 % Base Excess -6.9 mmHg mmol/L 【⾎ガス分析のアセスメント】 ⾼濃度酸素投与中のため pO2⾼値 硫化⽔素中毒による乳酸値上昇 呼吸代償された乳酸アシドーシス
#16. WBC 127 Hb ⾎液検査所⾒ 102/μL Na 147 mEq/L 11.7 g/dL K 3.5 mEq/L plt 24.7 104/μL Cl 113 mEq/L INR 1.09 BUN 21 mg/dL APTT 24.5 秒 Cre 0.58 mg/dL D-dimer 0.7 μg/mL CK 250 U/L T-Bil 0.6 mg/dL ⾎糖 133 mg/dL AST 47 U/L アンモニア 24 μg/dL ALT 27 U/L エタノール 3.0 mg/dL 【⾎液検査のアセスメント】 ⾝体的ストレスによる⽩⾎球上昇(︖) ⾎管内脱⽔に伴うNaおよびBUN上昇 ⾎液検査では意識障害をきたす原因なし
#17. 画像所⾒ 頭部CT︓ 頭蓋内病変なし, 脳浮腫なし 胸部CT: 肺炎像なし, 胸⽔なし 腹⾻盤部CT︓明らかな異常所⾒なし
#18. 診断と治療⽅針 診断︓硫化⽔素中毒 治療︓⼈⼯呼吸器管理+⾼濃度酸素投与 3%亜硝酸ナトリウム持続投与 《投与⽅法》 • 3%亜硝酸ナトリウム 10mlを6分間で急速投与後 同濃度の製剤を流速 5 ml/hrで持続投与 • メトヘモグロビン濃度(Met-Hb) 20%を⽬標 • 乳酸値の正常化を持続投与の終了指標とした
治療経過と入院後のフォローアップ
#19. 乳酸値およびMet-Hbの推移 乳酸値が1.29mmol/Lまで改善したところで 亜硝酸ナトリウムの持続投与は終了 (計1時間56分投与) メトヘモグロビン濃度は最終的に14%まで上昇した 17.5時間で乳酸値とメトヘモグロビン濃度が十分低下したため 高濃度酸素投与終了→挿管チューブ抜管→その日の午後にICU退室
#20. ⼊院後経過 第2病⽇︓⾼濃度酸素投与を終了し、抜管 第5病⽇︓軽度の頭痛は残存していたが 神経学的後遺症なく, 独歩退院 1年後のフォローで後遺症なし めでたし、めでたし〜(次ページから考察👉)
硫化水素中毒の治療法と今後の展望
#21. ドクターヘリによる早期医療介⼊ ドクターヘリシステムによって ①早期のABC(気道・呼吸・循環)安定化 ②標準的な中毒診療→『早期除染』 ③ 情報共有により早期から集中治療につなげる が可能となった。
#22. 硫化⽔素中毒の機序 硫化⽔素は少量であれば速やかに毒性の低い物質へ 代謝/排出されるため、臓器障害は⽣じない。 しかし、 ⼤量に吸⼊され解毒が追いつかなくなると ミトコンドリア内のチトクロム・オキシダーゼに結合し 同酵素を失活させることで好気代謝を阻害する。 主にエネルギー代謝が活発な脳と⼼臓において症状が出現。 解糖系による嫌気代謝が促進することで乳酸値も上昇する。 重症例では意識障害と代謝性アシドーシスが出現する。
#23. 硫化⽔素中毒の治療 ①100%酸素投与 チトクロム・オキシダーゼを介さない好気代謝を促す ②亜硝酸塩の投与 投与⽅法は亜硝酸アミルの吸⼊と亜硝酸ナトリウムの静注 ⾚⾎球のヘモグロビンを酸化してメトヘモグロビンを⽣成 メトヘモグロビンは硫化⽔素との親和性が⾼く チトクロム・オキシダーゼに結合した硫化⽔素を解離させ チトクロム・オキシダーゼの酵素活性が復活︕
#24. メトヘモグロビンも油断ならない メトヘモグロビン(Met-Hb)は酸素を運ぶことができない ⾎中のメトヘモグロビン濃度が上昇すると有害事象が出現する Met-Hb濃度 < 15% 臨床症状 症状なし 15 - 30% チアノーゼ、不安、軽い頭痛、倦怠感 30 - 50% 頻呼吸、意識障害、失神 50 - 70% 痙攣、不整脈、昏睡、代謝性アシドーシス 70% < 死亡 Ludlow JT, et al. StatPearls Treasure Island (FL), Aug 29, 2022.
#25. 亜硝酸ナトリウムの投与法 間⽋投与ではメトヘモグロビン濃度を 治療域で維持できなかった Kyohei M, ⽇臨救急医会誌. 2017;20:69-73. 概ね2時間毎に 3%亜硝酸ナトリウム 10mlの投与を要した 報告を踏まえ、亜硝酸ナトリウムの持続投与とした (5ml/hrを⽬安にメトヘモグロビン濃度を測定しながら投与) Yasuhisa F, 中毒研究. 2010;23:297-302.
#26. 本症例の亜硝酸ナトリウム投与法 メトヘモグロビン濃度=20%前後を⽬標に 3%亜硝酸ナトリウム 10mlを6分間で急速投与 その後、5ml/hrで持続投与開始 Kyohei M, ⽇臨救急医会誌. 2017;20:69-73. 持続投与は珍しいものの参考となる報告あり 終了時期の指標に関する報告はなく 本症例の加療のために、独⾃に検討した
#27. 亜硝酸ナトリウムの終了基準 シアン中毒でも亜硝酸塩の投与が同様の機序で効果を⽰す シアン中毒における⾎中シアン濃度の減衰曲線と 乳酸値の変化に相関があった Frederic JB, BMJ.1996;312:26-7. シアン中毒において乳酸値の低下が 全⾝状態改善の指標となった 三浪 陽介, ⽇集中医誌.2012;19:219~223. 硫化⽔素中毒でも乳酸値が治療効果の指標になるのでは︖ 「乳酸値の正常化」を終了基準とし 神経学的後遺症なく退院した
#28. Take Home Massage 硫化⽔素中毒において ドクターヘリシステムを⽤いた迅速な治療介⼊ および、亜硝酸ナトリウムの持続投与による 集学的治療で良好な転帰が得られた。 亜硝酸ナトリウム持続投与において 乳酸値が適切な終了時期の指標となり得る。 今後の症例蓄積が期待される。